<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/">
<title>無精庵</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/</link>
<description></description>
<dc:language>ja-JP</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2009-02-11T23:52:33+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.typepad.com/" />


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-ba88.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0de1.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c75c.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0c61.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-6f7e.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-43ad.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d3e8.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3780.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-b47e.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-2aa1.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-ba88.html">
<title>建国記念の日</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-ba88.html</link>
<description>　８時頃に目覚めたら天気が良く、嬉しい気分になっていた。それもあって、新潟市に家...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　８時頃に目覚めたら天気が良く、嬉しい気分になっていた。それもあって、新潟市に家族で出かけることになった。娘には起きて直ぐに私から言い、尤もこのことは暫く前から話題になっていたことで、先週も同じことが実行寸前に頓挫しているので、殊更新奇なことというわけではない。初めは気が進まない口ぶりだった妻も、一緒に行くと言い出したので結局家族全員、と言っても３人ではあるが、同道することになった。陽射しが結構強くなっていて、やがて車の中の温度はかなり上昇した。私は新潟市に１６年居住した経歴があるので、ほぼ見当はつく。旧亀田町に１年程前にできた、大型ショッピングモールに行くことが目的の一つである。１１時を回ってからその巨きな建物を目にした。例のビッグスワンや建設中の県立野球場も近くにある。建物の内部には大勢の人々がいた。これは新潟市の人達だけではなく、私共のように結構遠来の客も混じっているのだろう。特に目的のショッピング対象もないので、この巨きなスペースは戸惑いである。全体の構成をみて、大方を理解したようには思ったが、まだまだ上手に利用できるかどうかは心許ない。結局ささやかな手作りの敷物を購入し、家族で昼食を摂った。それで、その後は新潟駅前から古町に出た。馴染みの佇まいが懐かしさと安堵をもたらしてくれた。その後の帰り途で、小針、寺尾、平島など旧知の地名の場所で、旧知の建物を捜して結構な時間を費やした。３０年近い年月の間に、人の営みはその環境を変え、風景も一変させたらしい。尤も私が結構な年齢になっていることも関係しているかもしれない。それで、建国記念の日ではあったが、それを意識する状況にはたった一回だけ、西堀通りにつながる道路を走っていて、国旗がぽつんと一本だけ立てられている下田屋を目にした時だけであった。神武天皇ご即位の神話に倣った記念日も、その謂れはほぼ忘れ去られているといえるだろう。若きは無論のこと、壮年も無頓着に生活してきているだろうし、老年はもはや消え去りつつある。柏崎で寿司を食べた。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2009-02-11T23:52:33+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0de1.html">
<title>犬との交流</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0de1.html</link>
<description>　犬は苦手だ。それも生易しいものではない。私は現在結構な年齢であるが、犬を苦手と...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　犬は苦手だ。それも生易しいものではない。私は現在結構な年齢であるが、犬を苦手としてからの年月もはなはだ長いものだ。学校からの帰り道で、犬に追われ、挙句にお尻の辺りに噛み付かれた友人を間近にしたことがある。野良犬も多かったが、飼い犬でも放し飼いにしている家庭が結構多かった。遠くに犬の姿を見ると緊張する。不安と恐怖感が湧き上がってくる。先日、つい昨日のことだが、私は大河の岸辺をのろのろと歩いていた。予定の場所の予定の時間までには、まだかなりのゆとりがあった。暖かな日で、時間は午後４時少し前であった。私の前方に足の悪い男性、はっきり言って冴えない身なりの、カーキ色のズボンを穿いた男性がみえた。私は随分とゆっくり歩いていたが、それでもその男性に少しずつ近づいていた。私は瞬時に緊張した。男性の前方に犬の姿が見えたからである。大きな犬で種類はよく分からなかった。私は立ち止まって犬の様子をみた。犬は少し走ると向きを逆にして男性にじゃれるしぐさを繰り帰していた。男性は犬を繋ぐ綱を手にしていなかった。犬が放されていることを私は確信した。それで、私は男性がはるかに遠ざかるまで実にのろのろと歩いた。犬は随分と飼いならせれている様子だったのだが。それで、今日は同僚の女性が預かったという犬を見にいって、娘の眼前で激しく吠えられると言うことがあった。娘は女性と共に犬を散歩に連れ出し、私も同行したが、ずっと離れていた。幸いその後犬は私に吠えることはなかった。帰りがけにも、娘と一緒に犬の寝そべっている小屋を覗いたが、何ともなかった。娘は私に、「お父さん、あの犬はお父さんに親近感を持っていて、一緒に遊んでほしかったんだよ。だって、鳴きながら尻尾を随分とふっていたもの」と言った。私も何だかそんな気がしてほっとした。犬に対する苦手意識が薄らいで、犬との交流が持てるかも知れない。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-10-26T23:07:56+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c75c.html">
<title>名人・上手</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c75c.html</link>
<description>　「弘法筆を選ばず」と言い「好きこそ物の上手なれ」と言う。弘法大師は多分生来手筋...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　「弘法筆を選ばず」と言い「好きこそ物の上手なれ」と言う。弘法大師は多分生来手筋が良かったのだろう。ではあるが、これも多分、であるからと言うべきか、習字を好んだものと考えられる。このように予測することには、それほどの無理はない。上手が好んで習えば、結果はどうなるか知れている。大変な名人・上手になったわけである。　先日ある集まりで、改めて名人であり上手であろう人物に出会う機会を得た。それをキーワードで表現するなら、溢れる豊かな人間性、挫けない忍耐力、問題に対する関心の強さとそれに取り組むことへの類なき興味・関心・好奇心、工夫、強い確信、信念などになる。その人物は自分の駆使する物を、次元のちがう物と表現したが、次元の違いはその物ではなく、現時点では駆使する当のご本人であろうと直感した。やがて何時の日か、その物が次元の違いを証明されるかも知れない。しかし、多分それは、遥に遠い未来のことになるだろう。それを次元を超えその人物は、世界中で誰も実現していない方法によって難問を救済し始めている。名人・上手とは、ある直感による（信念と言っても良い）独自の方法により、感動を与える者であろう。南方熊楠、粘菌や苔に夢中になった男。私はその人物の話を聞きながら、南方のことを考えていた。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-10-05T23:09:35+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0c61.html">
<title>これが極楽か</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0c61.html</link>
<description>　名古屋で徳川美術館に入った。入館の時、受付の女性に向かってつい軽口を叩いてしま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　名古屋で徳川美術館に入った。入館の時、受付の女性に向かってつい軽口を叩いてしまい、いけなかったかなと一寸反省した。とは言っても、そんなことにばかり気を遣ってはいられないので、手荷物をロッカーに預けて、早々に絵葉書を購入した。徳川美術館は初めてではないので、ある程度の見覚えはある。それで無論のこと大いに感心しながらではあったが、結構な速さで見学した。ところが、途中から雰囲気が一変した。何やら別世界に踏み込んだ気分である。聞き知った、見知った神仏が次々に現れてくる。日蓮宗が、禅宗が、浄土宗が、天照大神が、めくるめく神々が、まさしく日本の八百万の神仏が勢揃いしているのだ。しているのだではなくて、されておられるのだ。のだではなくして、のでありました。私は咄嗟に合点のゆく思いであった。是こそまさしく「極楽の境地」ではないか。気分がよいどころではない。この世のものとも思えぬ世界に、今まさに足を踏み入れているのだ。これが恍惚の境地を齎さぬはずはない。そして、この境地を感じ取れる己が存在に対して、私は聊かの安堵をしたのであった。　名古屋にはある研修で出掛けていました。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-10-02T22:57:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-6f7e.html">
<title>夢</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-6f7e.html</link>
<description>　夢は睡眠生理で一晩に数時間は誰しもが見るものとされている。その夢は醒めるものだ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　夢は睡眠生理で一晩に数時間は誰しもが見るものとされている。その夢は醒めるものだが、夢の役割はまだ良く分かってはいないようだ。映画を観ていると、人が夢をみる、と言ってもこの場合には希望を持つとか、&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-09-16T07:45:25+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-43ad.html">
<title>音</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-43ad.html</link>
<description>　音に関しては無頓着な方だ。殆ど受身で生活している。楽器の演奏も合唱も、レコード...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　音に関しては無頓着な方だ。殆ど受身で生活している。楽器の演奏も合唱も、レコード鑑賞も、流行歌や映画音楽も、それぞれ僅かばかりだが齧っている。国歌斉唱で大声を出したら、前の人が思わず振り返るほどの音程の逸脱はない。あるにはあるが些細なものだ。どうやら「受身」のあり方が、音や音楽に対しての親密性を感じさせない一等の要因になっているようだ。と言うことは、関心が薄いことの証左であり、どうでもよいとの判断になり、やがて長じて面倒くさいということになったのであろう。映像についてもいま一つ関心が薄いが、文字については真っ当な関心を持っている。音に対して積極的にならなくては、今の「音についての不感症」状態は変わりそうもない。年齢を経るにつれて、興味や関心が限定するが、好きでなかったものに多少でも切り込むことは骨が折れる。まず道筋がついていない。人に聞いても直ぐには理解できない。むしろ敬遠したくなってしまう。結局内発的な何物か、まあ欲の類には違いないのですが、そういったとものと二人ずれでやってみるより納得できる方法はなさそうだ。憧れなんかは内発性を刺激する、欲をもつことが持続性を支える。　ただある種の音、叫びとか何とか、そういったものに対しては結構敏感である。無論美的な関心ではなく、情動の反応としてのものであるが。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-09-15T09:44:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d3e8.html">
<title>保養地</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d3e8.html</link>
<description>　夕方から月がきれいに見えていた。散歩をして近くの老人ホームの敷地から、線路脇を...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　夕方から月がきれいに見えていた。散歩をして近くの老人ホームの敷地から、線路脇を抜けて、これも近くの会社のアパートの前を通って、やはりある別の会社の構内をお邪魔して家に戻った。書類書きに疲れた、というよりも飽きたのでちょっと気分転換に２０分程歩いたのである。夕食前には、娘と修理に出していたデジカメが直ったとの連絡で、車で受け取りに行ってきた。月は徐々に煌々として美しさを増した。但し、当初の大きかった印象は段々と薄れた。　最近時々近隣の保養地、温泉付きで休憩所があってと言うと、例の竹下総理時代の「ふるさと創生事業」で、当地にも数多く出来ているが、それではなくて、その後に誕生したちょっとした改良版とでも言うべき所に時々出かける。家族で行ってコーヒーだけ飲んでくることもある。食事をして温泉に入ることもある。ちょっと休憩所で横になる場合もある。まあ様々なパターンで楽しんでいる。宿泊施設があるのが、改良版として挙げられる点である。で、結構遠来の方もおられる様子だが、基本的には地元の高齢者、と言うか中高年層が客筋の大方を占めている。言葉のアクセント、立ち居振る舞い、容姿、印象などで概ね区別される。僅かばかりの遠来の方もおられることは、その雰囲気からして察せられる。ここでは精々が１日、場合によっても２日、大方は数時間の保養であろう。休憩所で横になる醍醐味はあるが、どうも椅子が全体に少ない。掛けて休めないのが聊かの難点のように思える。そうしないのには何か訳があるのかも知れないので、浅薄な利用回数も多くはない者の印象である。骨休めのために、安価に、１日、まあ横にもなれてゆっくり過ごせるとなるとこの程度で限界なのかも知れない。散策コースなどを歩いて、食事をするか飲み物を飲んで、入浴をして、少し休憩をする程度がこの保養地の利用にはお勧めなのかも知れない。それでも入浴に何か一もう工夫できないものか。どこもほぼ同じやり方をしている。温泉は悪いとは言えないし、色々工夫もされているのだが、どこでも発想が同じなのだ。くどいようだが、掛ける場所を増やすのは無理なのかしら。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-09-15T00:03:27+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3780.html">
<title>イメージ</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3780.html</link>
<description>　午前中寝そべっていたら、急に歌心が湧いていくつか歌ってみた。余り感心するような...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　午前中寝そべっていたら、急に歌心が湧いていくつか歌ってみた。余り感心するようなものではない。つい興に乗って大声が出た。娘が録音機を持って来たので、一緒に歌って録音した。節回しなどに何かしら自分なりのイメージを込めているので、録音した物を聞くと照れ臭くなる。声は昔聞いた自分の物より幾分ましになっているように思ったが、錯覚の類かも知れない。その後やはり娘の勧めで人形劇のようなことをした。大仰なものではなく、極単純で素朴なものである。テーマを運動会にして、人形を使って競技をすることにした。人形を操るのは専ら娘の役割である。私は劇の進行と解説の一部を担当した。娘が人形を動かし、同時に喋るのである。フォークダンスから始まり、徒競走、パン食い競争、綱引きと進んだ、結構面白い。私もまたつい興に乗って解説に力が入り、何時になく饒舌になった。ひょうきんなことを喋ったりした。娘と大笑いすることが何回もあった。マラソンの熱戦を戦わせた後、思わぬアクシデントがあった。グラウンドに大きな穴があいて、競技の続行が不可能になったのだ。娘は奇想天外な解決法を考案し、皆で協力して「穴」を持ち上げて逆さにし、小高い「丘」にしてしまったのだ。やがて丘は突然転がり出して、何処へともなく消えてしまうという顛末になっていたが、その頃には競技は滞りなく終了する運びである。その一部始終を録音してあったので、それを再生して聞いたが、余りの面白さに私は日頃の憂さを忘れて笑った。イメージを繋げて劇は進むが、イメージは存外に経験に縛られすぎて陳腐になったりする。しかし、今日のは即興の妙もあり、実に愉快であった。大げさに言えば、演劇にのめり込む心理が少しだけ理解できたような気持ちにさえなった。　イメージは何かしらその人の考え方や価値観などに左右されるようだ。悩んだり愚痴を零したり、嘆いたり腹を立てたり、怒ったり、悉くイメージに左右されている。楽しいイメージを持って日々好日でありたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-09-13T23:28:18+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-b47e.html">
<title>思わぬ展開</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-b47e.html</link>
<description>　物事には思はぬ展開がある。依頼されたので引き受けることは、別に珍しいことではな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　物事には思はぬ展開がある。依頼されたので引き受けることは、別に珍しいことではない。しかし、依頼主が本心を隠し、依頼文などが事の本質を伝えていなかった場合は、実は不十分な依頼内容に従って対応することになり、結末は累卵のように危うい。私の職業は、まあどちらかと言えば、依頼には信頼がおけることが多いと考えられるものに属しているようだ。回りくどい書き方をするのは、時には信頼を裏切るようなこともあり、ある場合には強いて不十分で曖昧な依頼書が書かれることもあるからだ。人のやることだから仕方がない面は認めるが、しばしば困った結果を招く。ある方が専門にしている領域での問題の解決よりも、その領域と関連する領域の解決が先決と判断される場合には、関連領域の専門家に紹介することは日常的である。しかし、ある方の専門領域で実は非常に深刻な問題があるにもかかわらず、それを伏せたままで別の関連領域の、喫緊の問題ではない領域の専門家に紹介したらどうだろうか。後者は専門ではない領域の問題の解決にも携わらずを得ず、大変な消耗状態に陥る。問題解決のためには、冷静な見極めが求められる。ただ前者が実は投げ出したくなっていて、感情的になっていて、意図的に深刻な問題を伏せたらどうだろうか。人間だからこんな気持ちになることはある。疲れてしまうことがある。そんな時には一旦受け入れてから、相手の立場に十分な理解を示しつつ、逆紹介を試みると、相手は自分の誤り、疲れから来る逸脱に気づいて、再度勇気を出してくれるものだ。それでも言い逃れたりする手合いは論外であるが、この勇気には協力者、賛同者が加わることが多い。結果は極めて幸福である。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-09-13T00:45:39+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-2aa1.html">
<title>社交性</title>
<link>http://sahihayanoyado.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-2aa1.html</link>
<description>　多文化主義とか多人種共存などと言われる。片田舎でも、というより片田舎であるが故...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　多文化主義とか多人種共存などと言われる。片田舎でも、というより片田舎であるが故の多人種共存もある。そんな中で、「働いてばかりいる」とか「仕事にはよいが生活はつまらない」などの評価を聞くこともある。わが国やわが国の一般の人達に関してのものである。さらに一部では、「年配者の偏見が強い」と顔を顰めるのに出逢うこともある。身近で素朴な人たちからの日常的な意見である。勿論、ごく限られた、多少偏った一部の方のものである。私も子ども時代を振り返ると、ある種の偏見が身近にあったように思い出される。そのルーツがどこにあったかは、安易に省察できないが、その陰りが「年配者の偏見」として指摘を受けているのかも知れない。やがてある時代の出来事として、長い歴史の中で幽かな存在になってゆくであろうから、目くじら立てることではないのかもしれない。で、社交性についてであるが、わが国民性に燦然と輝く社交性のなさは、畢竟個人としての存在の曖昧さにあるのではないだろうか。年端も行かない子供たちが、自棄にはっきりしたことを主張するのでたじろぎ、怖い物に会ったような気持ちになることがあるが、年配者の偏見や無個性さは、例えたてまえであるにしても多文化主義には馴染まないように思える。社交性がうわべだけのおべんちゃらのように考えられるのは残念である。これもまた、個人の確立以前の文化における誤解である。社交性には個人の確立が前提であり、自分らしさの尊重が必須であり、人格の練磨や責任についてのきちんとした考えも欠かすことはできない。安易に社交性云々は口にできないものだ。それと好意と、ある種の憧れとには何か関係があるのでしょうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>たこうち</dc:creator>
<dc:date>2008-09-11T23:29:16+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>
