日記・コラム・つぶやき

建国記念の日

 8時頃に目覚めたら天気が良く、嬉しい気分になっていた。それもあって、新潟市に家族で出かけることになった。娘には起きて直ぐに私から言い、尤もこのことは暫く前から話題になっていたことで、先週も同じことが実行寸前に頓挫しているので、殊更新奇なことというわけではない。初めは気が進まない口ぶりだった妻も、一緒に行くと言い出したので結局家族全員、と言っても3人ではあるが、同道することになった。陽射しが結構強くなっていて、やがて車の中の温度はかなり上昇した。私は新潟市に16年居住した経歴があるので、ほぼ見当はつく。旧亀田町に1年程前にできた、大型ショッピングモールに行くことが目的の一つである。11時を回ってからその巨きな建物を目にした。例のビッグスワンや建設中の県立野球場も近くにある。建物の内部には大勢の人々がいた。これは新潟市の人達だけではなく、私共のように結構遠来の客も混じっているのだろう。特に目的のショッピング対象もないので、この巨きなスペースは戸惑いである。全体の構成をみて、大方を理解したようには思ったが、まだまだ上手に利用できるかどうかは心許ない。結局ささやかな手作りの敷物を購入し、家族で昼食を摂った。それで、その後は新潟駅前から古町に出た。馴染みの佇まいが懐かしさと安堵をもたらしてくれた。その後の帰り途で、小針、寺尾、平島など旧知の地名の場所で、旧知の建物を捜して結構な時間を費やした。30年近い年月の間に、人の営みはその環境を変え、風景も一変させたらしい。尤も私が結構な年齢になっていることも関係しているかもしれない。それで、建国記念の日ではあったが、それを意識する状況にはたった一回だけ、西堀通りにつながる道路を走っていて、国旗がぽつんと一本だけ立てられている下田屋を目にした時だけであった。神武天皇ご即位の神話に倣った記念日も、その謂れはほぼ忘れ去られているといえるだろう。若きは無論のこと、壮年も無頓着に生活してきているだろうし、老年はもはや消え去りつつある。柏崎で寿司を食べた。

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犬との交流

 犬は苦手だ。それも生易しいものではない。私は現在結構な年齢であるが、犬を苦手としてからの年月もはなはだ長いものだ。学校からの帰り道で、犬に追われ、挙句にお尻の辺りに噛み付かれた友人を間近にしたことがある。野良犬も多かったが、飼い犬でも放し飼いにしている家庭が結構多かった。遠くに犬の姿を見ると緊張する。不安と恐怖感が湧き上がってくる。先日、つい昨日のことだが、私は大河の岸辺をのろのろと歩いていた。予定の場所の予定の時間までには、まだかなりのゆとりがあった。暖かな日で、時間は午後4時少し前であった。私の前方に足の悪い男性、はっきり言って冴えない身なりの、カーキ色のズボンを穿いた男性がみえた。私は随分とゆっくり歩いていたが、それでもその男性に少しずつ近づいていた。私は瞬時に緊張した。男性の前方に犬の姿が見えたからである。大きな犬で種類はよく分からなかった。私は立ち止まって犬の様子をみた。犬は少し走ると向きを逆にして男性にじゃれるしぐさを繰り帰していた。男性は犬を繋ぐ綱を手にしていなかった。犬が放されていることを私は確信した。それで、私は男性がはるかに遠ざかるまで実にのろのろと歩いた。犬は随分と飼いならせれている様子だったのだが。それで、今日は同僚の女性が預かったという犬を見にいって、娘の眼前で激しく吠えられると言うことがあった。娘は女性と共に犬を散歩に連れ出し、私も同行したが、ずっと離れていた。幸いその後犬は私に吠えることはなかった。帰りがけにも、娘と一緒に犬の寝そべっている小屋を覗いたが、何ともなかった。娘は私に、「お父さん、あの犬はお父さんに親近感を持っていて、一緒に遊んでほしかったんだよ。だって、鳴きながら尻尾を随分とふっていたもの」と言った。私も何だかそんな気がしてほっとした。犬に対する苦手意識が薄らいで、犬との交流が持てるかも知れない。

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名人・上手

 「弘法筆を選ばず」と言い「好きこそ物の上手なれ」と言う。弘法大師は多分生来手筋が良かったのだろう。ではあるが、これも多分、であるからと言うべきか、習字を好んだものと考えられる。このように予測することには、それほどの無理はない。上手が好んで習えば、結果はどうなるか知れている。大変な名人・上手になったわけである。 先日ある集まりで、改めて名人であり上手であろう人物に出会う機会を得た。それをキーワードで表現するなら、溢れる豊かな人間性、挫けない忍耐力、問題に対する関心の強さとそれに取り組むことへの類なき興味・関心・好奇心、工夫、強い確信、信念などになる。その人物は自分の駆使する物を、次元のちがう物と表現したが、次元の違いはその物ではなく、現時点では駆使する当のご本人であろうと直感した。やがて何時の日か、その物が次元の違いを証明されるかも知れない。しかし、多分それは、遥に遠い未来のことになるだろう。それを次元を超えその人物は、世界中で誰も実現していない方法によって難問を救済し始めている。名人・上手とは、ある直感による(信念と言っても良い)独自の方法により、感動を与える者であろう。南方熊楠、粘菌や苔に夢中になった男。私はその人物の話を聞きながら、南方のことを考えていた。

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 夢は睡眠生理で一晩に数時間は誰しもが見るものとされている。その夢は醒めるものだが、夢の役割はまだ良く分かってはいないようだ。映画を観ていると、人が夢をみる、と言ってもこの場合には希望を持つとか、

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 音に関しては無頓着な方だ。殆ど受身で生活している。楽器の演奏も合唱も、レコード鑑賞も、流行歌や映画音楽も、それぞれ僅かばかりだが齧っている。国歌斉唱で大声を出したら、前の人が思わず振り返るほどの音程の逸脱はない。あるにはあるが些細なものだ。どうやら「受身」のあり方が、音や音楽に対しての親密性を感じさせない一等の要因になっているようだ。と言うことは、関心が薄いことの証左であり、どうでもよいとの判断になり、やがて長じて面倒くさいということになったのであろう。映像についてもいま一つ関心が薄いが、文字については真っ当な関心を持っている。音に対して積極的にならなくては、今の「音についての不感症」状態は変わりそうもない。年齢を経るにつれて、興味や関心が限定するが、好きでなかったものに多少でも切り込むことは骨が折れる。まず道筋がついていない。人に聞いても直ぐには理解できない。むしろ敬遠したくなってしまう。結局内発的な何物か、まあ欲の類には違いないのですが、そういったとものと二人ずれでやってみるより納得できる方法はなさそうだ。憧れなんかは内発性を刺激する、欲をもつことが持続性を支える。 ただある種の音、叫びとか何とか、そういったものに対しては結構敏感である。無論美的な関心ではなく、情動の反応としてのものであるが。

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保養地

 夕方から月がきれいに見えていた。散歩をして近くの老人ホームの敷地から、線路脇を抜けて、これも近くの会社のアパートの前を通って、やはりある別の会社の構内をお邪魔して家に戻った。書類書きに疲れた、というよりも飽きたのでちょっと気分転換に20分程歩いたのである。夕食前には、娘と修理に出していたデジカメが直ったとの連絡で、車で受け取りに行ってきた。月は徐々に煌々として美しさを増した。但し、当初の大きかった印象は段々と薄れた。 最近時々近隣の保養地、温泉付きで休憩所があってと言うと、例の竹下総理時代の「ふるさと創生事業」で、当地にも数多く出来ているが、それではなくて、その後に誕生したちょっとした改良版とでも言うべき所に時々出かける。家族で行ってコーヒーだけ飲んでくることもある。食事をして温泉に入ることもある。ちょっと休憩所で横になる場合もある。まあ様々なパターンで楽しんでいる。宿泊施設があるのが、改良版として挙げられる点である。で、結構遠来の方もおられる様子だが、基本的には地元の高齢者、と言うか中高年層が客筋の大方を占めている。言葉のアクセント、立ち居振る舞い、容姿、印象などで概ね区別される。僅かばかりの遠来の方もおられることは、その雰囲気からして察せられる。ここでは精々が1日、場合によっても2日、大方は数時間の保養であろう。休憩所で横になる醍醐味はあるが、どうも椅子が全体に少ない。掛けて休めないのが聊かの難点のように思える。そうしないのには何か訳があるのかも知れないので、浅薄な利用回数も多くはない者の印象である。骨休めのために、安価に、1日、まあ横にもなれてゆっくり過ごせるとなるとこの程度で限界なのかも知れない。散策コースなどを歩いて、食事をするか飲み物を飲んで、入浴をして、少し休憩をする程度がこの保養地の利用にはお勧めなのかも知れない。それでも入浴に何か一もう工夫できないものか。どこもほぼ同じやり方をしている。温泉は悪いとは言えないし、色々工夫もされているのだが、どこでも発想が同じなのだ。くどいようだが、掛ける場所を増やすのは無理なのかしら。

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イメージ

 午前中寝そべっていたら、急に歌心が湧いていくつか歌ってみた。余り感心するようなものではない。つい興に乗って大声が出た。娘が録音機を持って来たので、一緒に歌って録音した。節回しなどに何かしら自分なりのイメージを込めているので、録音した物を聞くと照れ臭くなる。声は昔聞いた自分の物より幾分ましになっているように思ったが、錯覚の類かも知れない。その後やはり娘の勧めで人形劇のようなことをした。大仰なものではなく、極単純で素朴なものである。テーマを運動会にして、人形を使って競技をすることにした。人形を操るのは専ら娘の役割である。私は劇の進行と解説の一部を担当した。娘が人形を動かし、同時に喋るのである。フォークダンスから始まり、徒競走、パン食い競争、綱引きと進んだ、結構面白い。私もまたつい興に乗って解説に力が入り、何時になく饒舌になった。ひょうきんなことを喋ったりした。娘と大笑いすることが何回もあった。マラソンの熱戦を戦わせた後、思わぬアクシデントがあった。グラウンドに大きな穴があいて、競技の続行が不可能になったのだ。娘は奇想天外な解決法を考案し、皆で協力して「穴」を持ち上げて逆さにし、小高い「丘」にしてしまったのだ。やがて丘は突然転がり出して、何処へともなく消えてしまうという顛末になっていたが、その頃には競技は滞りなく終了する運びである。その一部始終を録音してあったので、それを再生して聞いたが、余りの面白さに私は日頃の憂さを忘れて笑った。イメージを繋げて劇は進むが、イメージは存外に経験に縛られすぎて陳腐になったりする。しかし、今日のは即興の妙もあり、実に愉快であった。大げさに言えば、演劇にのめり込む心理が少しだけ理解できたような気持ちにさえなった。 イメージは何かしらその人の考え方や価値観などに左右されるようだ。悩んだり愚痴を零したり、嘆いたり腹を立てたり、怒ったり、悉くイメージに左右されている。楽しいイメージを持って日々好日でありたい。

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思わぬ展開

 物事には思はぬ展開がある。依頼されたので引き受けることは、別に珍しいことではない。しかし、依頼主が本心を隠し、依頼文などが事の本質を伝えていなかった場合は、実は不十分な依頼内容に従って対応することになり、結末は累卵のように危うい。私の職業は、まあどちらかと言えば、依頼には信頼がおけることが多いと考えられるものに属しているようだ。回りくどい書き方をするのは、時には信頼を裏切るようなこともあり、ある場合には強いて不十分で曖昧な依頼書が書かれることもあるからだ。人のやることだから仕方がない面は認めるが、しばしば困った結果を招く。ある方が専門にしている領域での問題の解決よりも、その領域と関連する領域の解決が先決と判断される場合には、関連領域の専門家に紹介することは日常的である。しかし、ある方の専門領域で実は非常に深刻な問題があるにもかかわらず、それを伏せたままで別の関連領域の、喫緊の問題ではない領域の専門家に紹介したらどうだろうか。後者は専門ではない領域の問題の解決にも携わらずを得ず、大変な消耗状態に陥る。問題解決のためには、冷静な見極めが求められる。ただ前者が実は投げ出したくなっていて、感情的になっていて、意図的に深刻な問題を伏せたらどうだろうか。人間だからこんな気持ちになることはある。疲れてしまうことがある。そんな時には一旦受け入れてから、相手の立場に十分な理解を示しつつ、逆紹介を試みると、相手は自分の誤り、疲れから来る逸脱に気づいて、再度勇気を出してくれるものだ。それでも言い逃れたりする手合いは論外であるが、この勇気には協力者、賛同者が加わることが多い。結果は極めて幸福である。

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社交性

 多文化主義とか多人種共存などと言われる。片田舎でも、というより片田舎であるが故の多人種共存もある。そんな中で、「働いてばかりいる」とか「仕事にはよいが生活はつまらない」などの評価を聞くこともある。わが国やわが国の一般の人達に関してのものである。さらに一部では、「年配者の偏見が強い」と顔を顰めるのに出逢うこともある。身近で素朴な人たちからの日常的な意見である。勿論、ごく限られた、多少偏った一部の方のものである。私も子ども時代を振り返ると、ある種の偏見が身近にあったように思い出される。そのルーツがどこにあったかは、安易に省察できないが、その陰りが「年配者の偏見」として指摘を受けているのかも知れない。やがてある時代の出来事として、長い歴史の中で幽かな存在になってゆくであろうから、目くじら立てることではないのかもしれない。で、社交性についてであるが、わが国民性に燦然と輝く社交性のなさは、畢竟個人としての存在の曖昧さにあるのではないだろうか。年端も行かない子供たちが、自棄にはっきりしたことを主張するのでたじろぎ、怖い物に会ったような気持ちになることがあるが、年配者の偏見や無個性さは、例えたてまえであるにしても多文化主義には馴染まないように思える。社交性がうわべだけのおべんちゃらのように考えられるのは残念である。これもまた、個人の確立以前の文化における誤解である。社交性には個人の確立が前提であり、自分らしさの尊重が必須であり、人格の練磨や責任についてのきちんとした考えも欠かすことはできない。安易に社交性云々は口にできないものだ。それと好意と、ある種の憧れとには何か関係があるのでしょうか。

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学校で、家庭で

 「個人化社会」なる本のページを繰ってみた。先日つい題名に魅かれて、図書館から借りてきたものだ。どうやら個人主義どころか、社会が個人化するような内容・構成になっているらしい。らしいというのは、頼りないのだが、まだ十分には読み終えていないせいである。そもそも「個人主義」というのは封建主義や共同体社会、家父長主義などの対概念をなすものであろう。戦後民主主義と共に個人主義が言われ、それはかならずしも好ましいものとしてのイメージばかりではなかったと思う。戦前を引きずっていたからでもあろうが、得手勝手みたいなニュアンスが少なからず含まれていた。それがこの本によると、さらに「個人化」された社会へと進むのが当然の成り行きなのだと言う。「なのだと言う」とは言っても、今のところそんな文言を見付けたわけではない。私の謂わば解釈である。世間が個人を包摂していると思っているだろうが、やがてそうではない社会が現出するとでも言うことになろうか。そうなると、世間体ではなく、個人体である。個人の限りのない肥大化である。昨今の様子からすると、なるほどと頷ける。それで、学校で何が、家庭でどうしたということをしたり顔で書くことになるが、やめた方がよいかも知れない。学校では肥大化した個人を持て余し、持て余された方はまたうまく機能できないでいるという現状がある。家庭でも同様、巨大化した自己が多くを満たすことになる。個人化社会は自我の限りなき肥大でもあろう。はてさてどこに向かうのか。 で、今日は頂いた桃を頂戴しましたが、おいしかったです。

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性、仏あるいは神およびギャンブル

 何事かと思う。脈絡もない羅列、出鱈目なことのように何気なく眺める。実は、ヒトの解放や救いに関連していることに気づく。性は淫靡な隠し事ではあるが、何人も避け果せることは困難である。かと言って正々堂々と取り組むのは照れくさい。性もしくは性器は、邪視をかわし身を守るものとされる。アマノウズメ神の踊りで露出した性器には、女神アマテラスを邪視から保護する働きがあったとの記録を読んだことがある。そうでなくとも、性には何かをかわす効果や、それを介しての本質の暴露、解放、救いがありそうだ。仏もしくは神にも同様の作用がある。自分の内面をして通ずるもの。通じて閉ざされた己を解放できたと感ずるもの。そのように錯覚して満足するもの。口を閉ざせば、何に通じているかも全く不分明になる。従って、個人的で内面的なもの。苦しければ尚更、迫害されれば一層に神仏に通じようと念ずる心理も理解される。最後のギャンブルはどうか。のめりこむのは、射幸心故と言われる。現世は非情だ。最近では特に成果主義や個人主義、自己責任の壁や溝が立ちはだかり、深い口をあけている。矮小な個人に、束の間の白昼夢をみせる場所がギャンブルではないか。これもまた逼塞した時代を背景に、危険な方法ではあるが、個人を解放する手立ての一つではないか。少女と性、几帳面すぎる男の配偶者の信仰、気弱な男のパチンコ三昧。人間にしか味わえない淫靡なしかし尊い解放があるように思われる。

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特に何ということもなく

 妻の車に送られて出勤した。少しばかり持物が多かったので、歩いて行くには精が切れそうに思えた。部屋の戸をあけて明りを点け、カーテンを開け、書類を点検して、返却するものは然るべき人に渡す。仕事が多いので、スタートを早くするために始業早々に取り掛かる。研修の若者は少し遅れてやってくる。控えめだが確実な対応をする。後で聞いたら、近く米国の学会に行ってくるのだとのことであった。ひっきりなしの応対を余儀なくされる。何も初めてのことではない。これまでにもしょっちゅう経験してきたことだ。応対、対応の連続。果てしもない。若者が背後に控えている。それで、私の応対も少しはいつものとは異なるのだろうか、相手の対応が若干異質になることに気づいた。いつもの饒舌が影を潜める人。丁寧になる人。そっけない人。それらに混じって、自棄に意地っ張りになる人がある。お婆さんにしばしば見られる。何か沽券にかかわるとでもいうかのように、普段は口にしない不満を強い口調で、しかも難詰め調に訴える場合がある。沽券にかかわるのか、秘密が暴かれるのか、世間体が悪いとでもいうのか。これまでの何年かは何だったのか。単なる社交、世間体、うわべのものか。「私はそうじゃないのよ。何遍言ったら分かるのかしら。失礼しちゃうじゃないの」と言った調子。 で、兎も角変身著しい方がおられるのには心底たまげました。それでもずーと、ずーと続けて、続けて、「一体何を仕事にしているのでしょうか」、何て我ながらあきれた頃に、終業の時間も随分経った頃に私の仕事は終わった。勿論だから特に何てこともない訳なのですが。

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森と水の公園

 午後5時半頃に出かけてみた。歯ブラシやら口を漱ぐ液体、歯磨きなどの歯の衛生に関する物を購入し、近くの電気屋さん、と呼ぶには大きすぎるが、を覗いてからだったのでこんな時間になった。因みにこの公園には私も家族もよく出かけていて、馴染みでもあり好みの場所にもなっている。駐車場に草が伸びていてまず優しい気持ちになった。舗装された車の移動する道路から、まずは雑草の類だろうが、それらが程よく伸びた緑の空間が駐車場になっているのだ。ちょっと遅い時間だったが、駐車場にも公園にも疎らに人影がみえた。娘と多少早足に土手の階段を下って、遊歩道に降りた。緑が深くなっている。緑だが盛夏の頃とは微妙に色合いが違っていて、黒味が増している。遊歩道の両脇の草はきれいに刈り取られて、独特の草の匂いが漂っている。まだ草刈をしてから然程に日が経っていないのだろう。娘と早足で歩いた。自然観察教室のような建物でトイレを借り、少しだけ休んだ。小銭がなかったので、自販機でジュースを購入できなかった。娘は喉が渇いていたのか、残念そうな表情をした。池には水草が繁っていて、点々と白い物体が遠望された。白鷺の群れである。夕間暮れの時間を群れて楽しんでいる様子であった。池の架橋の端では、このあたりの少年と思しき2人がスケボーで遊んでいた。キャンプ場から奇妙に前屈みになった子供が駆け出してきて、赤ん坊を負ぶった母親がその子の後に続いていた。腹痛か急な便意か。親子は足早にトイレの方に向かった。娘とトイレの脇を通った時、トイレの中から大きなうめきが聞こえた。嘔吐か下痢か。母親と赤ん坊はトイレの外の長椅子に掛けていた。若い母親は恥ずかしそうに苦笑していた。「いいのかな」と思ったが、トイレに駆け込んだ少年を1人にしておいてもとの思いであった。そこから駐車場までは造作もない距離で、娘と私は何の躊躇いもなく車に乗った。「ジェリィージェリィージェリィーチュー」。私の口調が奇妙だと言って、娘は私に何回も同じフレーズを繰り返させて、その度に笑った。私も笑った。 玄関を開けると妻の手料理の夕飯の香りがした。

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斉藤茂吉

 先日母を送ったわけであるが、何かそれらしい気持ちにならなくてはまずいようにも思えて、憶えのある茂吉の歌に当たってみた。岩波文庫の「斉藤茂吉歌集」である。「赤光」にご存知の「死にたまふ母」がある。さすがに茂吉は「はるばると薬をもち来し」で、死に近い母を見舞い、母に添寝して、そして「我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ」を絶唱し、これも名高き「のど赤き玄鳥ふたつ云々」となって、茂吉のご母堂様は幽明を分けたのである。その後も、順々に母の死から時間の経つことが感じとれるわけで、この克明、徹底さは茂吉ならではであろう。 冒頭に不信心者であることを告白したが、茂吉に頼ったのはそればかりではく、先日母の葬儀の折、次兄が母のことで何か知っていることがあったら教えてくれと言っていたからでもある。長兄も同様のことを嘆息していた。兄弟揃って親不孝の極みのようで、問わず語りに馬脚を現した次第である。で、茂吉頼みは、末子の私が母親とは一番遅くまで生活していたので、何かと母も私に自分の生活歴やなにかにを喋っていたことになる。私はこれまで兄二人も当然知っているとばかり思っていたが、なに確かに兄達は早くに母と別離していたわけで、母も若かっただろうから大したことは語り伝えていない道理である。で、兄達への手紙には、母がどうやら末っ子が可愛いとして私だけに話したことと共に茂吉の歌を添えることにした。

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安國山国分寺

 越後の国府が在った場所はまだ定位していない。それで、現在の国分寺も後世建てられたもので、聖武天皇時代の寺の位置は謎のままである。仁王門、三重塔、鐘楼(鐘がステンレス製である)、それに本堂がある。本堂は昭和60年代に如来様のお姿を包むような紅蓮の炎の中で焼失し、その後再建されたものである。鐘楼もその時に寄進されたものと記憶している。専修念仏で法然と共に罪人となった親鸞が、越後に配流になり、国分寺の草庵で生活したという歴史があるため、後世建てられた大きな親鸞の像がある。 で、何があったと言うと、今日娘と買い物の帰りに俄かに信仰心が湧き、これも母を亡くしたことに関係があるかも知れないのだが、国分寺に寄って、五智観音にお参りして、家庭の平和を祈願し、御神籤、娘は大吉、を引き、親鸞様にも頭を下げてきたのであった。実は、この国分寺の境内には私の父の実家の墓所があり、その縁もあって私は時折、もう26、7年前から、国分寺に詣でている。 曇り空であったが残暑で、境内は閑散としていた。三重塔を熱心に写真におさめる白髪の70歳前後と思しき男性がいるばかりで、隣接する保育園もお休みであり、ところてんを食べさせる茶店も閉店していた。蝉の鳴き声が時折して、音もなく飛び去る蝉の姿を目にするような状態で、さながら別天地であった。

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第2の職場

 残暑が厳しかったですよ。今日の私は第2の職場で勤務する日です。毎月奇数週の金曜日午前がその日になります。私の専門的な職能を以て、アシスタントとして第2の職場をアシストしています。ささやかな第2の職場ということになります。第1の職場では勤続28年になり、ここは私にとってはあらゆる専門的な能力を駆使する場所です。謂わばデパートのような存在です。全霊を込めて、まあ恥ずかしながらという気もあるわけですが、若気の至りの頃から火のような日々を送って参りました。多分に自分本位であるとの謗りは免れないのですが、独善は極力廃し、かといって安に迎合はしなかった(余りと言っておいたた方が無難かも知れませんが)心算です。 それはさておき、第2の職場は、小売店か売店みたいなものです。専門店であることを求められているのですが、全力投球していないのですからうわべだけの専門店、似非専門ということになります。時間、遠慮、不慣れなどの文言が、私をしてこのように感じさせるものの背景になっているように思われます。精々求めに応じて全霊を込める精神は失わないようにする心算です。

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仕事のこと

 休暇が終わって今日から仕事。十分な休養はとれなかったが、家族と共に過ごし偶々母を送り、意義ある休暇になった。無論全く問題なしではなく、大きな課題も残している。最近感ずるようになったが、休暇の後の仕事への取り掛かりのわるいことである。10年程前からこの傾向はあったが、さして気にもしていなかった。しかし、年末年始の後の気分の悪いことが数年続き、今では休暇の後の立ち直りのことに注意を必要とするようになっている。私の仕事は個人的な営為である面が大きい。それで、自分の振る舞い方、行動の方法が仕事の出来に大きな影響を与える。まず体調の維持に相当の配慮をする。当たり前のことであるが、加齢と共により慎重になっている。寝不足、お腹の調子、飲酒、体の動き、などなど、まずは私を総合的にあるレベルに(これ以外には何とも言いようがないが、私が長年続けている仕事に取り組むためのとでも言うべきか)維持する。調子の悪いときは極慎重に、まずはおずおずと、調子がよくても慎重に、普通の時にはそれでも少し安心しながら。と言った調子で仕事に取り組む。で、今日はどうであったかというと、最悪でした。しかし、半ば力技で始末したのは長年の経験の故でした。

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春日山神社

 買い物帰りに娘の提案で春日山神社に行った。春日山とは上杉謙信の居城の跡で、ここを本拠に武田信玄との川中島の合戦が繰り広げられている。神社はこの山城の中腹にある謙信を祭神とするもので、明治初期に小川未明の実父が殆ど独力で創始したものである。雨が降っていて人影は疎らであった。娘は土産物屋で謙信のストラップを2個購入していた。最近川中島グッズに若干こっている様子である。先日の地元の謙信公祭で、NHKの大河ドラマ「風林火山」で謙信役を演じたGacktさんが、昨年に続いて謙信になりきって登場した影響もあるように感じている。とまれ、謙信グッズを購入した娘と共に、神社でお参りをした。家庭の平和を祈念したことは言うまでもない。 雨は細かい霧雨になっていた。帰り道で傘をさして急ぐ小柄な白髪の老婆を見かけた。何か曰くありげな風情であったが、それが何であるかを確かめることはできなかった。帰途娘と共に「上杉戦国物語展」も見た。来年のNHK大河ドラマでは直江兼続が主人公になっている。まさに謙信公ずくしである。謙信公と言えば「義」の人であり、地元の支持は圧倒的である。私も謙信公を支持しているが、他に「田中のヤッシー、京大の社会学者大澤某氏」も支持している。

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思い出の地

 母の葬儀と初七日が済んで、私は家族と共に娘の提案で博物館に向かった。縄文時代の鏃が展示されているとのことで、近くの湖から見つかったものも含まれているとのことであった。鏃は狩猟で矢につけて得物を射るために用いられたもので、名の通りの鏃石、正しくは黒曜石で作られている。近くの山間地から掘り出されるもので、ガラス質で硬く、割ると鋭利でナイフのような切れ味を示す。ただ、博物館は月曜日のせいか休館であった。それで、私は少年時代を過ごした想い出の地を家族と共に巡ってみることにした。小学校1年、5、6年の頃の2ヶ所は記憶に辿り着く景色は残っていたが、道路も、家々の佇まいも余りに変貌していて、懐かしさはあるものの甘えを受容してくれる温もりは感じることができなかった。私は家族の懸念と嘆きに似た会話を聞こえないことにして、小学校の2、3、4、5年生の9月まで(私の父親は転勤を重ねる仕事に従事していた)を送った地に向けて車を走らせた。2、3回道路がわからなくなり、半ば諦めた時、私の眼前に少年時代の風景が出現した。 お寺の境内を家族と歩いた。お墓の間を数人で走り回った記憶が浮かんだ。お供えの団子を思い出した。現前に法然様の銅像があった。 ある少年のことを思い出して家族を急がせた。何やら彼の家にも似た佇まいの雑然とした建物があった。そこにいた男性は、彼にしては恰幅がよく、「温泉かね。温泉なら向こうからいくといいでね」と問わず語りに口にした。どんぐり眼で、幾分ではにかんでいて、年のころは53、4に見えた。髭に白い物が混じっていた。 少し歩いた後、杉林の中を抜けて私は大仰にいえば、身の震えるような思いをした。子供の頃、学年を超え、集落を超えて子供たちが集い、ありとあらゆる遊びをした神社、おそらくそれはそのままの様子で建っていた。こうした経験の常で、神社は思ったよりも小さかった。私は家族とそこで精進落としの料理をたべた。村芝居、蟻地獄、縁の下、素朴で卑猥な臭いのする騒然とした賑わいそして闇夜と静寂。 私はすっかり満足していた。

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諏訪大社

 諏訪大社は、日本最古の神社の一つで、その謂れは神話にまで遡る。祭神は建御名方神であり、大国主命と奴奈川姫の子とされている。諏訪の地に至ったいわれは古事記に詳しい。8月31日、家族と共に下社秋宮をお参りした。残暑はけっこうな厳しさであったが、参拝客は思ったよりも大勢であった。拝殿では一族の方々とおぼしき人数が、神主様に向かい合って正座し、神主様が何事か口上を口にしていた。背後の本殿では、若い夫婦が3、4歳の男の子を伴って拝礼し拍手を打っていた。子供の「ぴたぴた」という拍手のおとが微かに聞こえた。私は無造作に脱帽し、賽銭を入れ、最近の念願を心に呟いた。深く頭を垂れ正面をみて、さっときびすをかえした。傍らに御柱が屹立していた。 その後、隣接するオルゴール館で子供に回転木馬の「いつか王子様が」を購入した。 その後長兄のところで母の通夜に参列した。母の顔は鋭利で、私を慈しんだ頃の俤はなかった。

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母の死と花火

 8月30日の朝、長兄からの唐突の電話で母の死が知らされた。昨夜に亡くなったとのことで、数日来食事がとれなくなっていたもので、眠るような、静かに火の消えるような死であったろうと想像した。母は丁度90歳であったが、私は高等学校を卒業後郷里を離れて大学に進んだ関係で、その後に母と共に過ごした時間はほんの時折で、そんな状態は40年以上にもなっていた。特に最近の10年ほどは母の健康状態に問題があったこともあり、時折母の俤を私の脳裏に追うばかりで、言葉を交わすこともすっかり減っていた。有体に言えば、私は既に母とは今生ではお別れしたような、そんな湿り気のない気持ちでいた。長兄のもたらした母の訃報については、こんな訳で突然ではあったが、強い情動の動きはなかった。  この日に私は家族と共に郷里の湖で催される花火を見物した。花火は2、30分の間に集中して上がるものであるが、観光地の夜空を綺麗に彩り、見物の人々も多く、しばしば感嘆の叫びや拍手が聞こえた。  私はまた母の死のことを忘却していたが、全く突然に、「おかあさんご苦労様でした。ありがとうございました」と呟き、あろうことかじわっと涙も浮かんだ。 家族には知られないようにしたが、「ゆどころに はなびもえたり ははおくりしひ」と微かに呟き、ノートに書きとめた。

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図書券の愉快

 図書券に纏わる最近の話題では、教員採用試験での一件がある。この例にしてもそうだが、図書券はお礼の気持ちとして使われることが多いのだろう。お礼と言っても当然だが様々で、電話によるアンケート調査や一寸した心遣い、やや野暮な内容の言伝など多岐に及ぶ。貰った時には最近のカード型の図書券のせいもあり、少しばかりわくわくすることが多い。しかし、使う段になるとわたしに関してはさっぱりだ。どうもうまい具合に使えない。欲しい本があるのだが、何か図書券を使うことに躊躇いが生じて、ついつい財布から現金を出してしまう。で、図書券はいつまでも机の引き出しに仕舞われるか、だれぞ他人に譲ることになる。ああ、このパターンはそういえば商品券でも同じことでした。

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