旅行・地域

これが極楽か

 名古屋で徳川美術館に入った。入館の時、受付の女性に向かってつい軽口を叩いてしまい、いけなかったかなと一寸反省した。とは言っても、そんなことにばかり気を遣ってはいられないので、手荷物をロッカーに預けて、早々に絵葉書を購入した。徳川美術館は初めてではないので、ある程度の見覚えはある。それで無論のこと大いに感心しながらではあったが、結構な速さで見学した。ところが、途中から雰囲気が一変した。何やら別世界に踏み込んだ気分である。聞き知った、見知った神仏が次々に現れてくる。日蓮宗が、禅宗が、浄土宗が、天照大神が、めくるめく神々が、まさしく日本の八百万の神仏が勢揃いしているのだ。しているのだではなくて、されておられるのだ。のだではなくして、のでありました。私は咄嗟に合点のゆく思いであった。是こそまさしく「極楽の境地」ではないか。気分がよいどころではない。この世のものとも思えぬ世界に、今まさに足を踏み入れているのだ。これが恍惚の境地を齎さぬはずはない。そして、この境地を感じ取れる己が存在に対して、私は聊かの安堵をしたのであった。 名古屋にはある研修で出掛けていました。

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善光寺の山門

 家族旅行の終わりに善光寺に詣でた。車を降りると真夏さながらの暑さであった。両脇に坊の並ぶ通りから階段を上って仁王門を抜け、本堂の屋根が見えるところから大きな門が聳えている。「おや」と思ったのはその門、つまり山門の二階に大勢の人影が動いていたからである。「重文善光寺山門特別拝観」とのこじんまりした看板があり、20数年途絶えていた拝観が再開された、とは言っても一時的な措置のようであったが、模様であった。千載一遇のことのように思えて、私達家族は拝観の列に並んだ。 善光寺山門(三門)は1750年に完成したもので、高さ20m.、幅20m.の楼門である。案内の方の説明では、十一面観音、文殊菩薩、四天王などがあり、拝観は江戸時代から続けられていて、板や柱に時代を偲ばせる墨書された落書きが無数に残されていた。 松代地震以降、山門が揺らいで危険な状態になり、拝観が中止されていたとのことであった。この度修復が済み、拝観が再開になったばかりであった。偶然の行幸を感謝したが、これまで何回か善光寺に詣でていたが、山門の拝観には気づかなかった。母の導きがあったのかとも真剣に思った次第であった。

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